自衛官の定年延長がもたらす負の側面〜昇任の停滞が招く士気の低下への対策が必要
勢力を確保するための定年延長だが
前回の記事でも記述しましたが、自衛官の定年が最近延長されました。
(前回の記事はこちら→自衛官の生涯設計の確立に関する閣僚会議を設置〜自衛官が"自衛官後"を生き抜くために必要な組織的な施策とは)
どの程度延長されたかを簡単に紹介すると、1佐が57歳から58歳へ、2佐と3佐が56歳から57歳へ。
この定年延長は、自衛官の人手不足を補うための施策の一つ。
確かに、現職を少しでも長く留め、その間に新しく入隊する人がいれば、全体数は増えていきますね。
人手不足で苦しむ自衛隊の苦肉の策といえます。
でも、延長された年数だけ見ると、「なんだ、たった1年延長されただけじゃん」と思うかもしれません。
しかし、これは自衛官にとってはまあまあインパクトがあります。
それもマイナスのインパクトが。
その一つは、前回の記事で書いたような、”自衛官後”にどう生き抜くかという問題。
そしてもう一つは、昇任の停滞という問題。
なぜ1年延長されただけで、そんな問題が発生するのか?
それは、自衛官の人事がトコロテン方式であることに起因します。
上が捌けないと下の者が上がれないのです。
つまり、以前はある程度優秀な人なら、「この階級でこのポストを◯年やれば次のステップに進む可能性がある。」と予測できたのですが、
今後はそうはいかないのです。
そしてこれは、「士気の低下」という深刻な問題をもたらす可能性があります。
実は日本陸軍でも”昇進の停滞”という問題を抱えたいました。
なぜそんな問題が発生し、どのように対処しようとしていたのか?
ちょっと見てみましょう。
日本陸軍か抱えた”昇進の停滞問題”
日本陸軍における昇進の停滞に関しては、前回の記事でも紹介した「陸軍将校の教育社会史(下)」(広田照幸著、ちくま学芸文庫)に記載されています。
それによると、日本陸軍は日清戦争後から大正初期にかけて、毎年大量の将校生徒を採用し続けていたそうで。
しかし、その後の軍縮政策により将校の数が過剰気味になり、その結果、昇進の停滞という問題が発生してしまいした。
軍は階級が上がるにつれて、その数は少なくなるピラミッド構造が一般的です。
これは、上位階級者向けのポスト数が少なくなっていくことを意味します。
当時、高級将校向けのポストの増加はあったようですが、それでも昇進の停滞が起きてしまったのです。
その当時の状況として以下のように書かれています。
現在中尉から大尉に進むには早くても7年を要し、大尉から少佐に進むには8、9年から10年を要する。甚だしいものになると兵卒などから「桃栗3年柿8年、◯◯大尉は13年」など謡われる気の毒千万な所謂万年大尉殿もあり(以下略)
出典:陸軍将校の社会教育史(下)第1章第2節「昇進の停滞」
当時は、「万年大尉、千年少佐」と呼ばれる老大尉、老少佐がゴロゴロしていたとのこと。
しかも彼らはいわゆる”叩き上げ”ではなく、士官学校の卒業生。
この問題を解決するため、陸軍では予備役に編入させるなどの人員整理、つまりリストラを行なったほか、人事配置上の対応策を行いました。
具体的には、「少佐の仕事を中佐に、中佐の仕事を大佐にさせる」といったもの。
確かに、昇進してはいますが、良い解決策とは言えないでしょう。
そして、昇進の遅れで一番インパクトがあるのが昇給の停滞です。
当時は物価上昇もあったようで、1919年、大隈重信は、「軍人の給与が物価の上昇に無関係に据え置かれていることが、軍人志願者の質の低下に影響する」と警告しています。
このため、給与の改善を図ろうとしましたが、結局は挫折してしまい、うまくいかなかったようです。
なかなか昇進できない、昇進しても職責が変わらない、給与がなかなか上がらない。
これがどのような問題を引き起こすのかというと、一番は士気の低下です。
同書に「現時我カ将校以下ノ士気思想ニ沈滞不振ノ状アルハ一般ノ認ムル所ニシテ」とあり、当時、士気の低下が懸念されていたことが分かります。
なお、陸軍の昇進の停滞問題は、その後の日中戦争の勃発と戦線の拡大により、多数の部隊が新設されたことにより解決されたようです。
昇任の停滞が士気の低下を招く恐れ
自衛官の昇任(昇進)の停滞の原因は旧軍とは異なります。
旧軍は採用増に起因する過剰な将校の数。
今は人手不足を補うための定年延長。
しかし、「昇任の停滞」という文脈では、停滞する期間の長短はあれど、同じであると言えるのではないでしょうか。
そして、それが招くマイナスの側面は、やはり「士気の低下」ではないかと思います。
現役の幹部自衛官の知り合いから、「以前であれば、1佐になって最初のポストで一生懸命頑張れば、早ければ2年くらいで部隊長になれる可能性があったが、定年延長の影響で、今後はどんなに頑張っても数年は待つことになる。」との話を耳にしました。
あまり知られていませんが、1佐の中にも3つのランクがあります。
これは「防衛省職員の給与等に関する法律」で定められている、自衛官俸給表の中でのランク分けによるもの。
1佐に昇任してすぐは1佐(三)。
このクラスは陸上幕僚監部であれば班長、方面総監部であれば課長、師団司令部であれば部長職につくのが普通です。
その上が1佐(二)。
ここで多くの幹部自衛官が憧れる連隊長になることができます。
そしてさらに上が1佐(一)。
連隊長を終わった人で優秀な人であれば、すぐにこのクラスに上がり、陸上幕僚監部では課長、方面総監部では部長、師団司令部では幕僚長となります。
しかし、先ほどの現役自衛官の声からは、どんなに頑張っても、今まで彼らが見てきた先輩のようには昇任できないことが伺えます。
自衛隊は階級とポストが紐づいているので、上が捌けないとその下の者が上がれないのはどうしても仕方のないこと。
1佐でもそうなら、2佐以下はさらに1つのポストが長くなるのではないでしょうか。
これはつまり、定年延長を導入する前のようには昇任できなくなるということで、昇任できないと、給与も思うようには上がっていきません。
さすがに防衛大や一般大卒の幹部で、「万年1尉、千年3佐」という極端な話はないとは思いますが、
「頑張っても今までのようには昇任できず、昇給も期待できない」
「同じような仕事がどれだけ続くのか先が見えない」
という思いはあるかもしれません。
延長された定年年齢が当たり前の世代に入れ替わるまで、そんな思いが続くのではないでしょうか。
そして、これが士気の低下を招くのではないかと危惧しているのです。
士気の低下は服務事故の増加として現れます。
最近、ほぼ連日のように自衛官による不祥事が報道されていますが、その背景には定年延長に起因する士気の低下があるのでは?
ふと、そんなことを考えてしまいます。
(※これは全く個人的な感想です)
自衛官の俸給表は見直されたのか?
定年延長は不可避であるとして、受け入れる必要があることは理解できすます。
しかし一方で、「それに伴う士気の低下を防ぐ施策はあるのだろうか?」と疑問に思うこともあります。
先ほど記述したように、日本陸軍での様々な対策はどれもうまく機能しなかったようですが、
給与の改善は、挫折してしまったものの、一つの有効策になるのではないかと思います。
なぜなら、昇任の停滞は昇給の停滞でもあるからです。
もちろん、一つの階級の中でも給与は上がっていきます。
これは先ほど記述した自衛官俸給表(給与テーブル)を見れば分かります。
例えば、3佐の1号俸で329,300円、最高号俸の113号俸で470,400円。
しかし、もし2佐に昇任すれば、最高で490,200円が支給されます。
なお、自衛官にはこのほかに各種手当がつきますが、これも階級に応じて額が定められているので、
昇任した場合としなかった場合では、手取り額に大きな差が生じます。
最近は自衛官という職業の魅力化のために、新隊員の初任給アップがよく報じられますが、全体としての俸給表の見直し、
特に定年延長に伴う昇任の停滞を補うための見直しは行われているのでしょうか?
これに関する報道は目にしていないので、正直よく分かりません。
もしかしたら、何らかの取り組みはすでに行われているのかもしれませんが。
いずれにせよ、平時にあっては全国異動が頻繁にあり、長期の訓練で家を留守にすることも多く、仕事(デスクワーク)が深夜に及んでも残業手当も出ない。そして有事になれば命懸けで任務に邁進しなければならない自衛官にとって、自己実現のための昇任と、それに伴う昇給は士気を維持するためには重要な要素です。
定年延長により昇任が停滞しても、給与は定年延長の導入前と同じペースで昇給していくような仕組みが必要だと思います。
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