ニュース解説:ロシア軍が渡河作戦に失敗し装甲車など70両以上喪失〜その要因は?
目次
渡河中のロシア軍の装甲車など70両以上破壊
5月14日付のBBCのニュースサイトに、「3日間で3度目の凄惨な川辺の戦闘」というタイトルで、ロシア軍の渡河作戦が失敗したことが報じられていました。
以下、その抜粋です。
Russia was trying hard to cross the Siversky Donets in order to encircle a strategic east Ukrainian city. But he claimed that in days of intense battles, local forces had destroyed speed boats and helicopters and "ruined Russian boat bridges three times".
出典:Bloody river battle was third in three days - Ukraine official
ロシアはウクライナ東部の都市を戦略的に包囲するため、懸命にドネツ川の渡河を試みたが、地域の(ウクライナの)部隊がロシア軍の高速艇やヘリコプターを撃破し、ロシア軍の浮橋を3度破壊した。
Images from the scene show dozens of burnt-out armoured vehicles on the banks of the river.
その場所の画像には、川辺に数十台の燃え尽きた装甲車が写されている。
BBCのwebサイトに掲載された写真には、渡河寸前で撃破されたBMPかBTRらしき装甲車数両のほか、トラックらしき車両も写されています。
記事によると、70の重兵器や重装備(おそらく戦車や装甲車のこと)が撃破されたとのこと。
また、川の中には破壊された浮橋も見えるので、渡河作戦がある程度進展していたことが分かります。
では、なぜロシア軍は渡河作戦に失敗したのでしょうか?
これを考察するために、一般的な渡河作戦のプロセスを見てみましょう。
渡河作戦のプロセス
渡河作戦は上陸作戦同様に難しい作戦で、一般的には、渡河する部隊は相手の10倍の戦力が必要とされています。
そして、川を渡っている間は、遮蔽物はなく無防備な状態になります。
これをなるべく安全に行うために、渡河作戦は以下の段階を踏んで行われます。
渡河点周辺の制圧
まず、渡河点(橋を架けて渡る場所)とその周辺を、航空攻撃や砲迫火力で徹底的に叩いて、敵の直射火力を制圧します。
これにより、川辺に近づいた時に射撃を受けるリスクを低減できます。
ちなみに、渡河できる場所は、水深や流速、川幅などから制限されてしまうので、待ち受ける側もその地点に火力を集中できるよう、陣地や障害を準備しているのが普通です。
橋頭堡を構築
川辺の陣地を制圧したら、渡河点付近に指向していた火力を、さらに後方の敵の砲迫火力の陣地に指向します。
その間に、軽易な橋を架けるか、ボートやヘリで一部の部隊を対岸に達着させ橋頭堡を構築します。
この橋頭堡は、強固な橋を架けて主力部隊を安全に渡河させるために不可欠なもの。
「渡河する部隊が対岸に作った陣地」とイメージして頂ければ、その役割と重要性が理解できるかと思います。
このため、相手もこれを必死で妨害してくるので、橋頭堡を構築は、渡河作戦で最も困難かつ重要な場面と言えるでしょう。
よく戦争ものの映画で、部隊が敵弾下に上陸しようと試みるシーンがありますが、まさにあの場面です。
主力部隊の渡渉と兵站支援体制の構築
橋頭堡を構築し、その掩護下に架橋(がきょう:橋を架けること)できたら、主力部隊が一挙に渡渉し、敵の後方地域まで突進して砲迫部隊を撃破・排除します。
その後、兵站部隊が渡河して後方支援態勢が整えば、渡河作戦は終了となります。
あえてロシア軍の一部を渡河させた?
記事の写真を見ると、川の両岸にロシア軍の車両があり、さらに浮橋も見えることから、ロシア軍は橋頭堡の構築が完了し、主力の渡河が始まった段階にあったと思われます。
ここから推測されるのは、ウクライナ軍は、あえてロシア軍の一部を渡河させたということ。
渡河が始まるまで沈黙し、川の両岸にロシア軍部隊が溜まった時点で火力を奇襲的に発揮し、戦力を分断・孤立させて一挙に叩く、という作戦だったのかもしれません。
太平洋戦争の時の、硫黄島における日本軍の戦い方のようなイメージです。
硫黄島では、米軍の上陸がある程度進むまで火力発揮を控え、上陸部隊が海岸に溜まったところで奇襲的に砲撃し、米軍に大損害を与えました。
なぜ3度も失敗を繰り返したのか
それにしても不思議に感じるのは、「なぜロシア軍は3度も失敗を繰り返したのか」ということ。
記事に詳しい情報がないので何とも言えませんが、何となく「同じ失敗を繰り返したのでは?」という印象を受けます。なぜなら、1回目の渡河が失敗した時点で、何らかの対策を考えて実行するはずだと思うのです。
ウクライナ軍の陣地のさらなる制圧とか、煙覆(えんぷく:煙で見えなくすること)をかけて射撃を妨害するとか。
1回目の渡河の際に、ウクライナ軍は自分の陣地、火力の配置を暴露していますし、砲兵の位置も対砲レーダーというものを使えば標定できます。
しかし、ロシア軍はそのあと2度も渡河に失敗しているので、ウクライナ軍の陣地を十分に制圧することなく、同じやり方を繰り返したと考えられます。
その要因として、①ウクライナ軍を甘くみていた、②とにかく急ぐ作戦だった、③渡河作戦に関して練度不十分であった、ということが挙げられます。
今回に関しては、これらの要因が重なったのではないでしょうか。
この3つの要因が重なっていたとしたら、個人的には③の要素が一番が影響が大きかったと思っています。
なお、ここでの「練度」とは、単に橋を架ける技術とか、射撃の技量だけではなく、指揮官の渡河作戦の指揮能力、状況判断力も含まれます。
指揮官の練度不足に起因する状況判断ミスと稚拙な部隊指揮。
あり得ると思います。
まとめ
今回のロシア軍の渡河作戦失敗は、ウクライナ軍の戦い方の工夫に加え、ウクライナ軍を甘く見た練度不十分なロシア軍部隊が、急いで川を渡ろうとした結果、大損害を被って失敗したと推測できると思います。
皆さんのご参考になれば幸いです。