なぜ自衛隊でパワハラが横行するのか〜新隊員教育など入隊時の経験が誤った認識を助長する?
目次
ほぼ毎日のようにパワハラに関する報道
ここ数日、というよりもここ数年、ほぼ毎日のように自衛隊でのパワハラに関するニュースを目にします。
先日の報道では、ある幹部が、部下に暴言を浴びせた挙句、プラスチック製のバットで頭を小突いたり威圧的な指導をしたことが報じられていました。
それにしてもプラスチック製のバットがなぜ、何のためにオフィスにあったのか?
少なくとも、民間企業のオフィスでは見たことがないですね。
これは10年以上前の事案が今になって表面化し報道されたようですが、今年だけでも相当な数のパワハラがあったように感じます。
「部下が言うことを聞かないので蹴った」
「反抗的な態度を取ったので胸ぐらを掴んだ」
などなど、あげればきりがないくらい。
こんなニュースに毎日のように触れていると、いくら自衛官の処遇を改善しても志願者は増えないのではと危惧してしまいます。
また、「自衛隊(軍隊)=暴力的で粗野な集団」といった誤った認識も定着してしまい、いざ有事という時に、国民から必要な支援が得られなくなる恐れもあります。
自衛隊は武器を持つ集団ですので、感情の赴くままに行動することは決して許されず、一般の人よりも高い自制心が求められる組織であるにも関わらず、なぜパワハラが後を絶たないのでしょうか。
閉鎖的体質を原因とする意見もありますが・・・
自衛隊のパワハラに関して、ニュースなどでは、
「自衛隊の閉鎖的体質がパワハラを助長している。」
とよく言われます。
「閉鎖的」という言葉を辞書で調べてみると、「自分自身、または仲間内の殻に閉じこもって外部のものを受け入れようとしないさま。」
という意味があるようです。
確かに、一般の人の目に触れない柵に囲まれた敷地の中。
そして、そこに入れるのは自衛隊員のみ。
たまに業者が工事などで入りますが、基本的に自衛隊員の「城」と言っていいでしょう。
ほぼ自衛隊員しかいない場所で、外部の者は立ち入れない。
だから中で何が起きているのか分からないし、口出しもできない、或いは口出しはさせない。
このため、パワハラがあっても黙認されたり揉み消されたりする。
だからパワハラは無くならない、というのが一つの見解になっています。
しかしながら、一般企業で働き始めて気づいたのですが、企業も相当閉鎖的です。
打ち合わせなどで外部の人と接触できる場所は限られており、社員しか立ち入ることができない場所がたくさんあります。
大きな企業になると、部署ごとにセキュリティ・クリアランスが異なるため、自分が持っている社員証では入れないフロアもあったりします。
もちろん、そのオフィスがどんな雰囲気で、日常的にどんなことが行われているのかは知りません。
そういう意味では、自衛隊も企業も閉鎖的であり、環境的にはそれほど差がないように感じます。
入隊時に受ける教育訓練が誤った認識を助長する可能性
閉鎖的な体質がパワハラを横行させる一つの要因であることは否定しません。
しかし、私は個人的に自衛隊特有の仕組み、特に新人教育にその根っこがあるのではないかと考えます。
ここでいう新人教育とは、一般隊員として入隊した人が受ける新隊員教育や、主に大卒者が占める幹部候補生学校での教育を指します。
では、こういった教育の中で何が問題なのか?
それは、「わけも分からぬまま理不尽を強いられ、奴隷のように従うしかない日々に耐え、それを乗り越えてこそ自衛官」というような印象を植え付けてしまうこと。
よくテレビで見るあのシーンです。
怒鳴り散らす教官(助教)、これまで自由を謳歌してきた若者が、恐怖と不安の表情を浮かべ、他人の失敗の責任まで取らされる理不尽な世界に戸惑う。
でも、教育終了時には、何か殻を突き破ったかのような気持ちになり、鬼だった教官との別れを惜しみつつ全国の部隊へと旅立っていく。
テレビ的には美談ですね。
これは幹部候補生学校でも似たようなもので、教官と助教に散々しばかれながら教育期間を過ごします。
これらの期間は、誤解を恐れずに言えば「休日に外出が許可される刑務所」のようなもの。
しかし、大事なのはここから。
地獄のような教育期間の経験をどう解釈したのか。
テレビで見ると、全員が教官の愛情を感じ、なぜこんなにも厳しく、そして理不尽な経験をしなければならなかったのかを理解しているように見えます。
実際、ほとんどの教育修了者はそう感じており、その証拠に、教官を交えた同期会は生涯続きます。
でも中には、「暴力的な行為や威圧的な指導に耐えられないと自衛官じゃない」とか、「指導目的であれば、部下や後輩に暴力的であっても構わない」と誤った解釈をする人もいます。
さらには、「今度は俺がお前らを自由に使う番だ」と、上司や先輩になることで、部下や後輩を奴隷のように扱う特権を得たという、恐ろしい勘違いをする人まで。
これらは皆、殻の突き破り方を間違え、誤った特権意識を持ってしまった人たち。
新隊員教育隊、陸曹教育隊、幹部候補生学校など、自衛官としての入り口で威圧的な教育を敢えて行うこともあります。
しかし、それには意味があり、教官は学生を痛めつけることを楽しんでいる訳ではありません。
規律心の育成、責任の自覚、協同・連携の重要性を認識させるなど、目的があるのです。
「暴力的または威圧的=熱心な人」の時代は終わった
新人教育期間での経験は、人の評価基準にも影響を及ぼす場合があります。
一般部隊や司令部などの勤務でも、新人教育の教官や助教のように振る舞う人が評価されたりするのです。
どういうことか?
威圧的、暴力的な人を「仕事熱心」とか「熱い人」、「指導力のある人」と高く評価してしまうのです。
そんな人が部隊長になると本当に最悪。
実際私が初級幹部の頃、当時の部隊長からの指導受けの際に、紙挟み(A4サイズのクリップのついた書類を挟む文具)を投げつけられたり、私が作った訓練計画書の束を投げつけられたことがあります。
ずいぶん昔の話ですが、当時、この部隊長は「熱い男」と評価されていました。
しかし、今になって思い返すと、ただ感情的になっていただけですね。
私に訓練計画書を投げつけた部隊長は、私を指導するようなふりをしつつ、ただ感情的になっていただけだと思います。
指揮官としての威厳もなかったですね。
自分たちが新人教育の時に見てきた、あの熱心な教官と同じことをしただけ。
だから悪くはないし、むしろ評価されて然り。
そんな思いもあるかもしれません。
しかし「暴力的または威圧的=熱い指導」で評価される時代ではなくなりました。
そもそも、その考え方自体が間違いだったとようやく気づいたのです。
普通の会社のオフィスで、プラスチック製のバットで部下を小突く上司。
田町のオフィス街で、スーツを着たサラリーマンが、後輩が気に入らないと足蹴にする姿。
想像しただけで異常な風景で、警察に通報されてもおかしくないレベル。
自衛官は、「暴力的な行為や威圧的な指導を普通のオフィスでやったらどう見えるのか?」という想像力を働かせなければなりません。
「暴力的または威圧的=仕事熱心」ではなく、「言葉でうまく伝えられない無能な人」ということに気づくべきですね。
新隊員教育などで行われる威圧的指導の真意を理解させるべき
自衛官として必要な規律心を養うため、或いは安全管理上の理由などから、時には強制的な厳しい指導が必要だということは否定しません。
極度の緊張感に耐えることも必要でしょう。
しかし、教育修了時に、自発的にその意義に気づいてもらうことを期待するのはダメだと思います。
確かに、ほとんどの人は自然にその真意を理解できます。
ただ、本当に正しく理解できているのか、あるいは誤った解釈をしていないのか、これは確認する必要があるのではないでしょうか。
一応、あらゆる教育課程の中には「指導法」という科目があり、人に教える(指導する)立場になることを模擬する時間は確保されており、その時に理解の度合いや解釈の方向性を推し量ることはできます。
でも、個人的にはそれだけでは不十分だと思うのです。
「パワハラとな何か」、「厳しい指導とパワハラの違い」、「威厳と威圧の違い」、「厳しい口調が必要な場面」について、グループディスカッションなどで考えさせる時間を確保するべきです。
この際、パワハラと認定された事例と認定されなかった事例を題材に、その差は何か、どうあるべきだったのか、などを議論させるのも一案。
また、階級に関係なくアンガー・マネジメントの教育も取り入れるべきでしょう。
これは「自衛官として」というよも、一社会人として必須の事項だと思うので。
パワハラは根が深く、短期間での改善は難しいとは思いますが、自衛隊に対する信頼の向上と志願者の増加のため、ぜひその対策により一層取り組んでほしいと思います。